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調査・研究

スピーカーシリーズ

道州制議論の行方~3度目の正直か、2度あることは3度あるか~

2010年03月31日 

スピーカーシリーズ「道州制議論の行方~3度目の正直か、2度あることは3度あるか~」

1 テーマ:「道州制議論の行方~3度目の正直か、2度あることは3度あるか~」
2 日時:2009年12月10日(木)15:00~16:30
3 講師:新潟大学法学部教授 田村 秀様

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【概要】
・道州制に関する議論が本格的に始まったのは、北海道で構造改革特区制度を用いて道州制の先行実施に向けた取組みが始まったことがきっかけである。
・その後国の大きな動きとしては、2006年の第28次地方制度調査会の答申がある。内閣府に道州制担当大臣と道州制ビジョン懇談会が設置され、政府として積極的に道州制について検討を進めていくという姿勢が示された。
・自民党、経団連も道州制に関して積極的で、それぞれ道州制に関して中間報告等を取りまとめている。
・総務省が推進していた市町村合併の進展とともに、都道府県のあり方もクローズアップされるようになった。富山県のように県内の市町村数が15にまで減少し、神奈川県のように政令市の数が3つとなると、県のあり方・存在意義は何かが問題となってくる。
・そもそも道州制とは、現行の都道府県を大括りの道や州に再編する構想のことで、議論の始まりは昭和初期にまで遡るとされる。そして1950年代に議論の高まりがあったが、これは新憲法によって導入された公選知事制に対する不信感、特別市制度の導入を巡る大都市と府県の対立が原因であった。1960年代にも経済成長を背景に都道府県合併特例法案が策定されたが、同法案は廃案となり、道州制導入の機運は後退した。
・ここ数年、多方面から道州制の提言が行われており、この議論の中には国の出先機関の統合も含まれている。
・なお、道州制と連邦制との最大の相違点は連邦制においては主権が分割されるのに対して、道州制はあくまでも単一国家・単一主権内での地方分権である。日本においては主権を分割することまでは考えていないので、連邦制ではなく道州制を導入する議論が行われているところである。

【道州制の歴史】
・都道府県統廃合の歴史を見ると、1871年7月に廃藩置県が行われ、3府306県が置かれたが、数ヵ月後の12月には3府72県へと統合が行われ、1876年8月には3府35県となった。このときに一番大きな県は石川県であった。1888年には1道3府43県体制が確立し、現行の区割りがほぼ確定することとなった。その後府県制制定、東京府が東京都へという動きがあり、1972年に沖縄県が復帰して現在の1都1道2府43県となっている。
・新潟県のなりたちについて取り上げると、明治4年以前には政府の直轄地であった「県」と「藩」が混在していたが、それが新潟県、柏崎県、相川県に再編され、明治9年に一つの新潟県として統合された。
・最も移り変わりが激しかったのは四国で、4分割から3分割へそして2分割となり、また最終的には4分割へと様々な変遷を遂げた。これらの統合・分割は、専ら明治政府によってなされていた。
・戦前から1950年までの議論においては、1927年田中義一内閣のときに「州庁設置案」が作成された。同案では北海道以外を6つの州(国の行政機関)に分割、府県を完全自治体化という提案がなされ、フランスやイタリアの三層制に近いかたちになっていた。
・1945年には全国を8つに分割し、地方総監府が置かれた。これはわが国で唯一実現した道州制との評価もある。1947年に地方自治法が制定されたが、その附帯決議に「都道府県の区域を適当に統廃合すること」とあり、これは当時47都道府県というあり方はまずいとの認識があったことを表している。
・1950年代には、特別市制度(特別市が都道府県から独立するというもの)をめぐり、府県と大都市の対立が激化した。市長会、市議会議長会などが都道府県の廃止と道州制の導入を主張し、知事会は道州制の導入に反対し、地方6団体内に大論争が起きた。この問題は1956年地方自治法改正により政令指定都市制度が創設されたことで「一応」の解決をみた。1957年の第4次地方制度調査会でも都道府県制度のあり方について大議論となり、答申には道州制案(「地方」案)と少数意見の府県統合案(「県」案)が併記されることとなった。
・その後、高度経済成長とともに水問題等の広域的な行政需要の増大が生じた。その結果、東海地区(愛知県、岐阜県、三重県)で合併の動きが起きたり、阪奈和合併構想(大阪府、奈良県、和歌山県)が持ち上がったりした。1966年の第10次地方制度調査会答申では、合併を希望する府県に対しそれを可能とするために法整備をすべきだとの内容が盛り込まれた。その後特例法案が3回提出されたが、いずれも廃案となった。
・経済界は企業同様、スケールメリットを生かすために道州制導入に熱心である。また自民党の道州制を実現する会による「道州制の実現に向けた提言」(2000年)、民主党の道州制推進本部「道州制―地域主権・連邦制国家を目指して」(2000年)等も出されている。
・都道府県も広域行政を行う上で道州制の必要性を感じ、県・知事が以下のとおり様々な提言等をしている。
・岸大阪府知事「近畿圏の提唱」(1990年)
・岡山県研究会「連邦制」(1991年)
・平松大分県知事「九州府構想」(1995年)
・北海道「道州制」(2001年)
・北東北3県の取組
・静岡県「政令県」(2003年)

【諸外国の状況と道州制の現状】
・連邦制、道州制、都道府県合併をより詳細に比較すると、様々な違いが見えてくる。例えば導入手順については、全国一斉のものもあれば、地域ごとの選択が可能とするものもある。その他、首長の選任方法、国政における参議院の位置づけ等も論点になることが予想され、憲法論議も出てくる。
・諸外国の状況を見れば、アメリカ、ドイツ、スイス、カナダ、オーストラリアは連邦制国家、日本はフランス、イギリスと同じ単一主権国家である。また日本の都道府県の規模(人口、面積)は諸外国と比較しても決して小さくないと言える。
・近年の道州制に関する動向としては、以下のような動きがあった。
・2006年2月 第28次地方制度調査会
・2008年3月 内閣府道州制ビジョン懇談会中間報告
・2008年7月 自民党第3次中間報告
・2008年11月 経団連の第2次提言
・2009年1月 鳩山大臣の国民対話
・経済界は道州制に積極的であるが、その要因の一つとしてアメリカのように州間の租税競争、またそれによる法人税減税の実現を期待していることがある。
・道州の区割り問題を取り上げると国民的議論が盛り上がるのは確かだが、ビジョン懇談会中間報告では、区割りについて「例」を示すにとどまった。

【政権交代後の動向】
・民主党政権誕生後、他の諮問会議、審議会等がそうであるように、自民党政権下での会議は事実上‘廃止’となっている。これにより、道州制導入に向けた諸課題についての議論は一旦リセットされることとなった。
・今後の動向は不透明ではあるが、2000年6月に民主党道州制推進本部が「道州制―地域主権・連邦制国家を目指して」をとりまとめている。その後の総選挙での公約にも「「地域のことは地域で決める」という民主主義の原点に立ち返って、徹底した分権化と地域主権の確立に取り組み、二一世紀日本の国のかたちを分権連邦国家につくり変えていきます。このため、国の役割を限定し、基礎自治体たる市町村の権限と財源を拡充するとともに、道州制の導入に段階的に取り組んでいきます」としている。
・また原口総務大臣は2009年7月に「民主党は基礎自治体主義をとっているが、道州制についても「地域が選択するということになれば」トップダウンの道州制導入でなく地域から盛り上げられた道州制導入ということで推進することになる」と発言している。
・既に橋下大阪府知事は、国の出先機関の受け皿として広域連合を活用することを表明している。近畿地方あるいは九州地方などで広域連合によって、都道府県と国の出先機関の機能が部分的に統合された場合、まさに総務大臣が言ったような「地域から盛り上げられた道州」として実現することになるのかもしれない。だが、解決すべき点は数多く残されている。例えば、環境の整った地域から順次道州を導入する場合、過渡期には道州と都道府県が併置されることになる。この場合の広域的な利害関係の調整をどのように行うかについてのルール作りも必要になるだろう。
・道州制は単なる都道府県合併ではなく、意味のある道州制とするためには国、地方を通じた統治機構の再編であり、中央省庁の再々編も視野に入れる必要がある。また国・地方の役割分担についても改めて考えてみる必要がある。道州制の統治機構についても多くの議論がなされることが見込まれる。首長は直接公選とするのか、議会は比例代表か、中小選挙区制か、そしてこれらの議論を受けて参議院の見直し論が出てくることも予想される。その他にも、道州制間の財政調整等、財政問題、そして区割り問題など論点は非常に多くある。
・加えて、道州制により影響を受けるのは行政機関だけではない。指定金融機関としての地銀、テレビ局、新聞社等、都道府県単位の様々な団体が、道州制の導入によって再編されるのではないか。

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