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ADレポート「プラチナ・ジュビリーを通じて体感した、英国民の王室愛」

2022年06月14日 

見渡すかぎりの人、人、そして人。

見上げると、歴史を感じる優雅な建造物とユニオンジャック。

トラファルガー広場周辺は、普段から多くの人が行き来しているが、6月2日の木曜日には、普段と全く異なる風景があった。エリザベス女王在位70年(プラチナ・ジュビリー)を祝うために、広場や周辺の道路すべてを覆い尽くすほどの人が集まっていたのである。

プラチナ・ジュビリーに際して、5月から、街中のいたるところにユニオンジャックやエリザベス女王のパネルが設置されて祝賀ムードが高まっていたが、6月2日(木)・3日(金)の2日間の祝日が定められて英国内は4連休となり、お祝いムードが最高潮に高まっていた。

この4日間には、下記のようなイベントに加え、数多くのイベントが開催された。

〈主なイベント〉

2日:Trooping the Colour(バッキンガム宮殿前における女王の誕生パレード)、Platinum Jubilee Beacons(英国内各地でお祝いの火を掲げる伝統行事)

3日:Service of Thanksgiving(セント・ポール大聖堂での特別礼拝)

4日:Platinum Party at the Palace(バッキンガム宮殿前で開催されるライブコンサート)、The Derby at Epsom Downs(エプソム競馬場で開催される競馬レース)

5日:The Platinum Jubilee Pageant(バッキンガム宮殿周辺での一般市民も参加するパレード)、Big Jubilee Lunch(英国内各地で開催されるストリートパーティー)

 

ここでは、プラチナ・ジュビリーとは何なのか、また、この期間に筆者が体験したことをお伝えする。

【画像:6月2日にトラファルガー広場周辺に集まった人々(筆者撮影)】

 

そもそも、プラチナ・ジュビリーとはどのようなもので、どれほどめでたいことなのだろうか。

ジュビリーの起源は、旧約聖書の時代にまで遡る。当初、ジュビリーは、7年に1度の土地を休耕させる年を指し、実用的なタイミングを意味するものであったが、次第にジュビリーの年には神が特に豊かな恵みを与えてくれる特別な年としての重要性を帯びるようになったとのことである。

その後、ローマカトリック教会では1300年以降、ジュビリーが、罪の赦しと和解の年とみなされて正式に祝われるようになった。

国王の治世を祝う意味でのジュビリーの起源は、ジョージ3世による長期間の統治を記念するものであった。1809年10月25日の彼の治世の50周年記念日は、イギリスと植民地の両方で盛大に祝われた記録が残っている。なお、現在は、治世25周年をシルバー、40周年をルビー、50周年をゴールデン、60周年をダイヤモンド、65周年をサファイア、70周年をプラチナとして祝うこととなっている。

この度、エリザベス女王の在位70年がプラチナ・ジュビリーとして祝われているが、70年にわたる長期の治世を達成したのは英国で初めてのことであり、それを受けて人が街中を埋め尽くすほどの賑わいになったのである。

 

筆者も、せっかくのこの機会を逃してはならないと考え、プラチナ・ジュビリーの主要イベントの1つである、Trooping the Colour(女王の誕生パレード)を見るべく、当日に開催場所に向かうことにした。会場は、バッキンガム宮殿前の大通りであるが、その最寄り駅に着いた段階から、あまりの人の多さに、会場に近づくことすらできなかった。

何とか迂回路を進み、大通りの終点のすぐ外側の場所を確保することができた。上の写真は、そこからトラファルガー広場を撮影したものである。

大通りの外側で待つことになったため、自分が立っている場所からパレードを見ることができるかはわからないものの、写真のとおり大勢の人がいることから、きっと見えるはずだと信じて3時間。

結果、パレードを見ることは叶わなかった。

しかし、現地で周囲の人たちと一緒に盛り上がりながら、一糸乱れずに飛行する航空ショーを見ることができた。

大混雑を予想して、家でテレビを通じてお祝いしていた英国出身の友人に報告したところ、大混雑の様子も報道を通じて確認していたようで、家ではなく現地で長時間待ち続けた努力をねぎらってかけてくれた言葉「You are more British than the British.(あなたはイギリス人よりイギリス人だ。)」が印象に残っている。

【画像:Trooping the Colourの様子(出典The Royal Household)】

 

【画像:航空ショーの様子(筆者撮影)】

 

4連休最終日にロンドン市内を歩いていると、そこには再び目を引くものがあった。住民たちが道路を占領し、短く見積もっても50メートル以上はあるだろうという長さのテーブルを設置し、盛大にパーティーを開いていたのである。

パーティー会場の入り口には、テントと大きなスピーカー、そして微笑むエリザベス女王のパネルが用意されており、ドレスアップされた司会者とエリザベス女王が見守る中で、パーティーが盛大に開催されていた。

英国出身の同僚に聞いたところ、このようなストリートパーティーはイギリスの慶事にはつきものであるらしい。開催に当たっては、事前に申請して許可を得て、近隣住民が集まってパーティーを開催するとのことである。道路を封鎖してまでパーティーを開くという様子に初めて遭遇し、道を遠回りすることになったが、家族やご近所の皆さんで豪華な食事を持ち寄って楽しんでいる様子を見させていただいた。

【画像:ストリートパーティーの様子(筆者撮影)】

 

以上のように、英国初の慶事を祝うために、国主催の大規模なイベントから、(住民たちにとって大規模なイベントである)住民主催のストリートパーティーまで、まさに国・まち全体がエリザベス女王の記念を祝っていた。

また、パレード当日にまちを行き交う人々は、それぞれの手にエリザベス女王の写真が配置されたユニオンジャックの小さな旗を持っており、ストリートパーティーでも、すぐ近くにエリザベス女王のパネルが配置されていたことから、国民に愛され、かつ身近な存在として親しまれている英国王室を垣間見ることができた。

英国初の記念すべき日を、現地で過ごすことができた貴重な体験(と、3時間直立で立ち続けても、航空ショーしか見られなかった苦い体験)は、英国文化の一端を理解するきっかけになったともに、ロンドン生活の一大行事として私の心に深く刻まれた。

ロンドン事務所所長補佐 畑航平

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